組織・沿革

組織・役員

役職名前所属
本部会長中島 太平三菱UFJ銀行健康センター
大阪府支部会長 伊泉 哲雄市立総合医療センター
兵庫県支部会長西林 賢二西宮市立中央病院
京都府支部会長岩崎 和幸十条武田リハビリテーション病院
滋賀県支部会長猪飼 猛済生会滋賀県病院
奈良県支部会長山本 高広山の辺病院
山口県支部会長三輪 光良萩市民病院

学友会の沿革

 近畿医療技術専門学校は、昭和26年(1951)大日本レントゲン学校として行岡病院に併設され、開校準備が行われました。当初は夜間部のみで修業期間は二年間でした。第一期生は昭和30年(1955)に卒業し、昭和35年(1960)頃には大日本レントゲン学校同窓会が存在しました。
しかし、会員数が少なく組織も確立されていなかったようで、間もなく自然に消滅致しました。

 その後、暫く空白時期が続きましたが、昭和41年(1966)6月に大阪土二会(当時第二土曜日午後に行われていた勉強会)が結成され、9月には関東土二会が発足しました。一年後の昭和42年(1967)8月に東西合同土二会を開催。この土二会を母体にして新しく学友会が発足しました。昭和44年(1969)には会則も制定され、現在に至っています。尚、昭和43年(1968)には昼間部も開設されました。

 学校名も、昭和37年(1962)日本医学技術レントゲン学校、昭和51年(1976)行岡医学技術専門学校放射線科、昭和63年(1988)近畿医療技術専門学校と変更され、平成15年(2003)には学友会主催で開校五十周年記念式典を挙行致しました。

 卒業生は、文字通り全国津々浦々に居住し、活躍されていますが、間もなくその数は4400名を超えることになります。過去に名簿も数回発刊していますが、個人情報保護法が施行された現在、組織の発展と会員相互の連絡等は、IT抜きでは到底考えられません。従って、これを駆使して会の隆盛を図り、親睦を深める事が肝要であり、今後の最重要課題であることは疑う余地がないでしょう。

最後に、皆様のご協力のもと学友会の益々の発展を期待いたします。

学友会元会長 立野 久義(昭和35年卒)


学校沿革

  • 昭和26年 4月  大日本レントゲン学校開設
  • 昭和29年12月  財団法人行岡保健衛生学園が学校法人行岡保健衛生学園となる
  • 昭和37年 3月  日本医学技術レントゲン学校となる
  • 昭和40年 4月  日本医学技術学校となる
  • 昭和45年 9月  放射線専攻科を増科
  • 昭和51年10月  行岡医学技術専門学校に校名変更
             (専修学校制度により専門学校として認可を受ける)
  • 昭和63年 4月  近畿医療技術専門学校開校
  • 平成19年 3月  近畿医療技術専門学校 放射線科夜間部廃止
  • 平成25年 9月  行岡鍼灸専門学校、行岡整復専門学校、近畿医療技術専門学校
             を統合し大阪行岡医療専門学校長柄校に校名を変更

大阪行岡医療専門学校長柄校 放射線科学友会
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